アキラに会いにシェムリアップへ。
24. January 2009
バッタンバンからシェムリアップへ出張。アキラに会いに。
アキラは天才的な地雷撤去人Aki Raのことでカンボジア人。アキ・ラーという響きが日本人の名前に似ているので「アキラ」と呼ばれるようになった。
少年時代をポルポト少年兵として育ち、その後、ベトナム軍、カンボジア政府軍と10年間戦闘の中で生きてきた。内戦終結後はUNTACで地雷処理を手伝い、UNTAC撤退後もアンコール遺跡のガイドとして収入を得ながらフリーのディマイナー(地雷撤去人)として村人のリクエストに応じて地雷を撤去してきた。
1999年にアンコールワットから5キロほどの自宅の敷地内に小屋を建て、「アキラの地雷博物館」を開く。彼自身が撤去し安全に処理された地雷、不発弾を展示するだけでなく、内戦時代の兵士の経験を語り伝える場でもある。
(写真は地雷を手に構造を説明しているアキラ、2003年撮影。)

小屋の中には地雷、不発弾が多数展示されていた。2003年撮影。
見学者、世界中の彼に共感した個人からの寄付で運営していたが、カナダのNGO「The Cambodian Landmine Museum Relief Fund」がサポートにつき2007年、「カンボジア地雷博物館」として場所を移転してリニューアルオープン。地雷博物館の運営は彼自身の手から離れNGOが主体となった。
現在もアキラは地雷撤去を続けている。彼の手で撤去された地雷、不発弾は数万個にのぼる。
アキラに電話するといまシェムリアップにはいないと言う。「地雷原に来ますか?」とアキラ。シェムリアップ中心部から1時間半ぐらい離れた村で地雷撤去しているらしい。しかも彼だけではなく、新しく彼が立ち上げた地雷撤去NGO「Cambodian Selft Help Demining(CSHD)」のチームでやっているところだと。
そもそもCMCのスタディツアーが地雷博物館を訪れる時に、アキラにみんなの前で話をしてもらおうと、そのお願いをするために彼に連絡を取ったのだけれど、予想外の展開。色めき立つ。
彼のNGO、CSHDのことが知りたい。オフィスを訪ねた。

不発弾がお出迎え。いかにもアキラらしい。
地雷原で撤去作業中で不在のアキラにかわって事務スタッフの女性が応対してくれた。アキラ本人から連絡が入っているようで話はスムーズに進んだ。CSHDの概要を聞く。ここはCSHDの事務所兼アキラの自宅となっている。アキラはもう何ヶ月も地雷撤去のため、地雷原の村に泊まり込みで行っていてここには帰ってこないそうだ。
アキラに会いに。地雷原のことを聞いた。僕一人ではとうていたどり着けないだろうとのことで、スタッフが明日、連れて行ってくれることになった。
- バッタンバン―シェムリアップ
- 移動距離 177km
- 所要時間 3時間40分
- 移動手段 カムリ(乗り合いタクシー)
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天空: tiancoo
[ティエンクー]
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カンボジア地雷撤去キャンペーン [ Cambodia Mines-remove Campaign ]、バッタンバン駐在員、明博史 (Hiroshi Ake) が現地から発信するアンオフィシャル、カンボジア駐在日誌です。
オフィシャルHPは
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